16世紀末のオスマン帝国首都イスタンブル、そこでひとりの細密画家が殺された。その事件の過程で伝統的なトルコの画風と写実的なヨーロッパの画風との相克が浮かび上がってくる。
2006年度ノーベル文学賞を受賞したトルコの作家、オルハン・パムクの作品。各国でいくつもの文学賞を獲得したベストセラー。
和久井路子 訳
出版社:藤原書店
ノーベル文学賞受賞者と言うと、なんとなく堅苦しく難解に過ぎるというイメージがあるが、本作は素直におもしろいと思えた作品だった。
多分理由としては、最初に提示されたプロットがきわめてわかりやすかったことが大きいと思う。殺人の犯人が誰だろうというミステリ的な読み方、主役二人の恋模様を描くラブストーリー的な読み方、歴史小説としての読み方、そして純文学的な読み方。多様な読み方がその冒頭で展開されていて、文学が好きなものとしてはどの読み方にも心惹かれてしまう。
そして何よりもすばらしいのは、エンタメと文学という両方のエッセンスが共に強い存在感を見せていたという点にあるだろう。
エンタメ部分としては、シェキュレが毎夜訪れるハッサンの手から逃れようとする描写がおもしろかったし、最後の方の刃物沙汰もハラハラすることができた。そしてシェキュレとカラの逢引でのシーンの微妙な距離感にもドキドキしてしまう。第二の殺人のシーンの描写にもひきつけられた。
それにエンタメとは違うが、オスマンが目を刺すシーンには耽美的な味わいすらあり、変なインパクトがあるのも印象深い。
そして文学的な見地としては、トルコの伝統的な絵と、ヨーロッパの絵との対比の部分には深みがあり、心に残る。
この文学的な、そして博学な絵画に関する哲学を語るシーンははっきり言って若干難しい。だが難解ながらも、そこにある思想性や哲学性には、読みながらいろいろなことを考えずにはいられなかった。
僕はトルコの土地柄のことはよくわからない。だけど、西洋とアジア、キリスト圏とイスラム圏の境目であるという土地柄上、そこで文化の相克が起こるのは理解できる。そしてその相克の中、内部であらゆる葛藤が展開されているのが目を引いた。
基本的にトルコとヨーロッパでは根本的に考え方が違うのだろう。ヨーロッパでは自分の見たままの世界を再現しようと試みるのに対し、トルコではあくまでアラーの見た世界を絵に描こうとする。署名で自己アピールをするヨーロッパに対し、個性を消そうとするトルコ(決してそれは消し去れないけれど)。
文化背景が違うのだからいろんな点に変化があるのは当然だ。だけど、そんな差異から模索すべき道は当然いろいろあるだろう。
それこそが本作で提示されたエニシテの理論なのだ。
だが、和魂洋才の国の人間としてはどうして、ヨーロッパの手法をトルコの絵の中に取り込むという、「今まで一緒に用いられなかった二つの異なるものが一緒になって何か新しいすばらしいものを作り出すと確信している」エニシテの考えが否定されねばならないのかはわからない。
ヨーロッパの模倣だけで終わることを恐れる気持ちはわかる。だが、アラーの見たままの世界だけを再現しようとし、それ以外を認めないというその偏狭さが自らの首を絞めているのはどこか不思議であり、醜くすら僕には見える。
アイロニーに満ちた見方をするなら、アラーの見た世界を再現すること自体、人間のこの上ない傲慢とも見える。だがかと言って、宗教に絵を用いることを否定する原理主義的な考えが正しいわけでもない。
そういう風に考えると、トルコの細密画家たちは本来的に矛盾は抱えていたのだと思う。
この作品の大きな悲劇は、そのことに彼らが気付き、出口を模索するべきだったにもかかわらず、内ゲバ的な戦いに終始したことにあるのかもしれない。
何はともあれ、エンタメ的にも文学的にもすばらしい作品である。長く読みづらい面はあるが、満足の一品だ。
評価:★★★★★(満点は★★★★★)
そのほかノーベル文学賞受賞作家の作品感想
・1929年 トーマス・マン
『トニオ・クレエゲル』
・1947年 アンドレ・ジッド
『田園交響楽』
・1982年 ガブリエル・ガルシア=マルケス
『百年の孤独』
・1999年 ギュンター・グラス
『ブリキの太鼓』
・2003年 J.M.クッツェー
『マイケル・K』
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます